副院長の苦情と暴言をやり過ごしたことによって、もやもやする看護部長(Gチーム) 

1.事例紹介

小規模病院の看護部長である私に日々副院長から苦情が届く。それは病棟スタッフに対する苦情であり、暴言も混じる。病棟師長ではなく私に苦情がくるのは病棟師長では埒が明かないと副院長が思っているからである。

一年前に外来と病棟の看護師長が一斉に退職した。その上、看護部長も定年退職した。そのため看護師長だった私は看護部長に、主任看護師は看護師長に、スタッフは主任看護師に繰り上がった。突然の昇任にそれぞれが戸惑い自分では力不足だと感じていた。実際に部署をまとめきれず、日々の問題に振り回されている。そのような看護部の脆弱さにも副院長は文句を言っているように私は感じる。

私はひとまず副院長の言い分を受け止めることにしている。受け止めるというより事態を収拾するために「無になって聞く」に近い。以前は発言にその都度言葉を返していたが、それによって副院長が激怒し、その怒りを病棟で発散して被害が拡大したことがあったからだ。もちろん看護部側に非があれば謝るが、非がなければ謝らない。副院長の感情が病棟に向かわないように注意している。

先日も副院長は「お前は馬鹿か」と人格を否定する言葉を繰り返し私に放った。ある病棟でCVカテーテルを挿入したら看護師の介助がへたくそだったと言ってきた。副院長はよほど腹が立ったのか段々と口調が激しくなり感情的な物言いになった。私は話をとりあえず黙って聞くことに徹して、「分かりました。確認します。」とその場を何とかやり過ごそうと耐えた。本当はどうだったのかを病棟に確認してから、副院長の気持ちが落ちついたら建設的に話をしようと判断したからである。しかし、私は「また始まった」「面倒くさい」「とりあえずその場をやり過ごしたい」と、副院長と対峙するのを諦めた。

後日、副院長との話し合いの場を設けた。副院長は私の説明を聞いているものの「フーン」と澄ました態度だった。激情的な物言いではないものの、結局はネチネチ、くどくどと同じ言葉を繰り返していた。その様がなんとも悔しく、ざわざわと怒りがこみ上げてきた。副院長の鼻をへし折ってやりたかったが、いつもどおり私だけがもやもやして終わった。

2.「考える知性」と「感じる知性」

副院長の「お前は馬鹿か」という発言に耐え、黙って聞いてやり過ごそうとするのは禍根を残す。事例の「私」は、単なる私個人ではない。看護部長という組織の代表であり、看護部の代表でもある。また始まった、面倒くさいと放置している場合ではない。多くのスタッフの人生を背負っているのである。いつまで、その「もやもや」を放置するつもりか。

副院長の「お前馬鹿か」という「感情の知性」には、「お前は馬鹿かと言われる筋合いはありません!失礼です!」「副院長と私はお前呼ばわりされる関係ではありません!」といった「感情の知性」で対応する。その際、礼節をもちつつ不快極まりないと私の感情が伝わるような語気、佇まいが重要である。そうしなければ、私の不快感は副院長に伝わらない。看護部の尊厳も守られない。「その発言を私は許容しません」と看護部の代表として毅然とした態度を示す「急性期の対応」が必要である。後日では遅い。

その後、「考える知性」で対応する。副院長のいう問題があったのか、事実は何かを当該部署に聴き、判断する。そして、副院長と必要な話し合いをするとよい。

自分の中にエネルギーを充電し自信を取り戻す準備をしておく。事例のように一斉退職や突然の昇任、一癖ある副院長からの暴言といった精神的な許容量を超える問題は人を弱らせる。気張ろうとしても力がでない。その備えは然るべき時に「感情の知性」を発動させ急性期の対応をするために必要な心得である。

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