インシデント報告時に激高する医療安全担当課長と主任(Cチーム)

1.事例紹介

 私が主任のときに看護部の医療安全担当課長にインシデント報告に行った時の出来事であった。報告時、「なぜ?どう対処したのか?どう判断したのか?」と、矢継ぎ早に質問された。私は、「でも」「ですが」と言い訳をしながら答えようとするが、かぶせて問い詰められた。私も医療安全担当課長も表情、口調が変化し、怒りが込み上げていった。そういったやりとりが普段から何度もあった。担当課長は「指導よ!」と言っていたが、「指導?いや違う。私のことが嫌いだからではないか?」と思っていた。「なぜ、何度も同じことになっちゃうのか?私だけなぜそのように言われなきゃいけないのだろう?」と感じた。他の主任と医療安全担当課長とのやりとりでは激高する場面はなく、私だけが言われていた。建設的に話し合うにはどうしたら良いかと考えた。そこで、反論せずに医療安全担当課長が何を言いたいのかをよく聞くようにした。すると相手の言いたいことがわかるようになった。

 

2.考える知性と感じる知性

 この事例は自部署のエラーについての報告であり、後ろめたさ、反省、謝罪といった性格が含まれている。また報告が重なると、「またか、と思われたくない」といった自己防衛が働きやすく、素直に報告できない条件が整っている。そのため無意識に「でも」「ですが」という言葉を使ってしまい、本来の主旨である、インシデントの報告の内容は伝わらず、単に「口答え」や「言い訳」だと相手に捉えられてしまっている。医療安全担当課長は「考える知性」でインシデントに向き合おうとしていたかも知れないが、「私」がとっさに反論するような言い回しを用いることで、相手の「感じる知性」を刺激してしまい、互いの感情のぶつかり合いとなってしまった。そして、いつも問い詰められるのは「私が嫌われているからだ」と思いこみ、普段の関係性へまで影響を及ぼしていた。

 まずは「インシデントの報告」に対する自分の「感じる知性」である、「責められたくない」という自分の感情に向き合うことである。すると相手の話しが聞け、「申し訳ない」と謝罪が出来るかも知れない。そして「考える知性」でインシデントについて話し合う。しかし気付いた感情は、抑制したり欺いたりしてはならない。インシデント分析を終えて落ち着いたところで、改めて「問い詰められると委縮してしまいます」「嫌われていると受け取ってしまいます」などと担当課長に自分の感情を伝える(自己開示)とよい。

 ものごとに対する先入見が邪魔をして、話の本質が捉えられないことがある。人はものごとを捉える際、「こうあるものだ」「こうしているはずだ」と思い込み、「自分のものの見方」で評価し判断をしている。ものごとの本質を捉えるためには、「自分のものの見方」に気付き、それを取り外すことが必要である。インシデントを否定的に捉えている考えや感情を取り外すことで「事象そのもの」(インシデント)に向き合えるようになる。

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