第3章「感情の源泉を扱う」
第三章にお付き合いいただきありがとうございました。
今回の企画者の意図は、組織に渦巻く感情に、管理者として目を向けることができ、そして、組織作りの目的をもってスタッフ等の感情に働きかけることとはどういうことかについて気づく」ところにありました。シャボン玉のように、生まれては消える感情を捉えることのむずかしさを感じながら、ファシリテートしながらいろいろなことを考えていました。
私が例として挙げた手洗い場での師長とのかかわりがありましたが、あのように感情をストレートに表現してくれれば、大変わかりやすく「悪かったわ」という反省の気持ちになることができました。もしあの場面で、言葉少なく笑顔もなくなった師長が、言語的に何も発しないままであったらどうでしょうか。いやな感情を抱えた師長がタバコ部屋に行って私のした仕打ちに対してむかついた経験話をするかもしれません。それを聞いた同僚や部下は、「むかつくわねー」と師長の感情を共感的に理解するかもしれません。師長の感情が伝播する瞬間です。
これは妄想した想定ですがありえますよね。こうした個人の感情の伝播が重なって組織感情になっていくのだとしたら、組織感情をコントロールする方法は、いろいろと思いつくのではないかと思います。ムッとしている師長に向かって、「今、何か怒ってます?」と質問したらどうでしょう。「怒ってるわよ!」とか「怒ってるにきまってるわ」などと言われるかもしれません。そうしたらしめたものですね。怒っている理由を慮って、謝ることができます。そうなれば、タバコ部屋で流れる情報は、きっとポジティブ感情になっているのではないでしょうか。その場合怒らせた側には、相手の気持ちを慮るセンスとコミュニケーション力が必要となると考えます。「なぜ怒っているのか教えてください」などと質問したら逆効果になると思われるからです。
感情を扱おうとすると、正にその瞬間にどうするのかという力が試されるように思います。じっくり考えてあとで聞いてみようなどと思っても、その感情が既にほかに伝播しているかもしれませんし、一晩寝たら忘れられているかもしれないからです。台本のないライブ感のあるアドリブ劇を楽しんでいるような感覚でしょうか。
認知症高齢者が、言語的に何を言っているのかわからない時、介護者が「それって嬉しい事なの?」とか「怒っていることなの?」などと高齢者の感情に触れる質問をすると、「嬉しいに決まってるじゃない」と返してくれたことがあります。その感情がわかれば、非言語的に気持ちが通じ合い笑顔になる瞬間を作り出すことができた体験を思い出しました。
感情を扱うとは、理屈でなく腹で理解するということでしょうか。人間は、他者からわかってもらえるという思いで安心できる生きものですから。
(担当・山田雅子)