感情の源泉を扱うに参加して、わたしは突然のコメントを求められ、的の外れたコメントをしてしまった。
それはなぜかと振り返ると、感情のざわつきがあったからかもしれないと思った。
わたしは、全体ディスカッションの時間にとても不快な気持ちでいた。「テーマを言って」「(補足してくださるファシリを)保護者ね」「風呂でオナラしたような声」「(事例発表した受講者に)結局、あなたが困っただけの話でしょ?」「ケンカしていい」などの理解し難い言葉かけの数々。
わたしは心を閉ざしていたので、ディスカッションに参加できていなかったし、もちろんコメントは無く、結果、内容のないコメントをしてしまって、グループワークのときのような積極的なコメントを期待して、わたしに話をふってくださったファシリに申し訳なかったと思う。何をコメントしても正解がなく、先生の思うような回答をしないと否定されるという圧を感じていた。
わたしは、不快感を感じたときに思考がフリーズしてしまうらしい。
わたしは感情と向き合うことと、感情的に瞬間で言葉を発することは、違うと思う。管理者として経験不足ではあるが、すべてのスタッフに敬意をもって言葉を選びたい。
全体ディスカッションの時間に抱いた感情を表出できたらよかったですね。感情の源泉を扱うことを学ぶ章だったのですから。
私は「保護者」ではないことをその場で伝えました。その場でなければできないこともあります。怒りや哀しみの感情ばかりでなく、喜びや楽しみもその場で巧みに扱う姿を期待します。
腹を決めた投稿に敬意を表します。
投稿有難うございます。
看護管理塾では利害関係がありませんので、否定されたとしても何の害もありません。普段言えないようなことも発言してみてほしいです。
不快な気持ちであれば、「不快です」と言ってみるのはどうでしょうか。