第9章

私は第九章の「やる氣にさせる職場」が一番心に残りました。

フラフープを用いた研修で学んだことは、リーダーが指示を的確に出さなければ組織が動かないという現象です。

私は、それまで一人一人に自主的に考えさせることで、組織を構成する全員が責任を果たせるように自覚を促すことを重視してきました。しかし、フラフープを運ぶチームの仲間に指示を出す役割をしたことで、リーダーが的確な指示を出さなければ動けないのだとわかりました。

それでもなお、私には気が引けるというか、指示を出すことが自主性を損ねるのではないという危惧があります。これは、どの程度の指示を出すかという程度の問題なのかもしれませんが、それが本当に程度の問題か、あるいは基本姿勢の問題なのか、そのあたりが、まだ学び足りていないという感じがしています。

そのもやもやを解決して、いえ、もしかしたら解決しえないのだとしても、今後も看護管理者としてどう人を育てていくかに挑戦していきたいと思います。

あと、蛇足ですが、「やる気」ではなく旧漢字の「やる氣」である点がとても気になりました。グループ内ではこそこそ話をしていたのですが、きっと何か意味があると思ってみておりました。その種明かしを、もしかしてして頂いたのかもしれませんが、聞き漏らしていました。もし、ディスカッションのなかで触れて頂けましたら幸いです。私は汽のサンズイなしの中に×ではなく「米」が入っていることで、コメを食べて元気になるとか、そんな意味が込められているのではと想像しています。

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kei673sano

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2 のコメントが “第9章”にあります

  1. kei673sanoさん
    投稿ありがとうございます。
    第9章を担当しました伊藤弘子です。
    凄い!! 目のつけどころが違いますね~。

    はい、氣という文字をあえて使っています。
    それは、一般的に用いられる『気』では、間に入る〆が、氣=エネルギーを閉じてしまうためです。
    一方、『氣』は、米。四方八方に広がります。そして、米は、日本人にとってはエネルギー源です。そういう意味合いで、『氣』の文字をあえて使っています。
    元々、氣という漢字はこちらの『氣』でしたが、あるときから、代ってしまったそうです。

    指示を出すことと、自主性を重んじることは、どちらも成立しますよ。
    それは、相手の成熟度によります。
    成熟度が低い、つまり、チームとしてバラバラ。一体感がない。目的にみんなが向かっていない。そんなときは、指示を強力に出す必要があります。たとえば、今回のコロナ騒動のようなときです。
    一方で、メンバーがそのことについて熟知していて、もう任せても大丈夫というところにきていたら、指示を出すのは少なくした方がいいです。
    要は相手を見て変えるのが効果的です。

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